京都芸術大学通信教育部写真コースについて

私は、京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)通信教育部の写真コースを卒業した。 多くの人が入学・卒業しているはずだが、ネット上には、あまり体験記が見つからなかったので、後輩のために簡単に記録しておく。 卒業を記念して。

私が入学したのは新型コロナウイルス感染症が広まりだした 2020年4月であり、卒業したのは2022年3月である。 この記事を書いたのは、卒業制作展が開催中の2022年3月である。 内容は、その時点のものであることを断っておく。

私は関東地方在住であり、東京のスクーリングのみで卒業している。

卒業について

不確定な情報ながら、2020年度写真コース入学者数は79名という情報があり、そのうち1年次入学が28名、3年次入学が51名であった。 2021年度に写真コースで卒業された方は、合計32名であると思われる。 そのうち、東京の卒業制作スクーリングで卒業された方は18名だったと記憶している。 東京卒業制作スクーリングで卒業された18名の方は、その学籍番号から推測すると、6名の方が最短2年で卒業、3年で卒業された方も6名であり、それ以上かかって卒業された方も6名であった。 京都については内訳が不明であるが、14名卒業であった。

これらの数字から考えると、入学人数と卒業する人数が大きく異なることがわかり、さらに、最短で卒業できるのは限られた人である。 入学から卒業まで時間差があり同じ年を単純比較できないが、卒業自体が難しいことのように思われる。 写真コースは歴史があるため、ある程度定常的な状態になっていると考えられる。これから卒業する人が大きく増えることはなく、この傾向は継続すると思われる。

卒業要件

最短2年で卒業するには、4つのハードルが存在する。(2020年度・2021年度の情報であり、現在正しいとは限らない)

  1. 1年目に、卒業制作着手要件を満たす必要がある。 これは、32単位取得する必要があり、そのうちいくつかは、決められた科目の単位を取る必要がある。 20単位は、1年次・2年次に設定されたコース専門科目のすべてのテキスト科目・スクーリングを合格する必要がある。 また、8単位は学部共通専門教育科目から取る必要がある。 残り4単位はなんでも良い。 しかし、卒業要件を考えれば、学部共通専門教育科目を追加で4単位で取ってしまうほうが、後々楽になると思われた。

  2. 2年目の夏期までに、卒業制作(3 〜 6)履修条件を満たす必要がある。 これは大きく3つの要件に分解でき、

    • コース専門科目の3年次に設定されたテキスト科目をすべて合格する
    • コース専門科目の3年次に設定されたスクーリング科目のうち、取れる4単位を合格する
    • コース専門科目の4年次に設定されたスクーリング科目卒業制作1・2を合格する
  3. 2年の秋期に卒業制作以外の卒業要件を満たす

    • 学部共通専門教育科目 12単位
    • 卒業制作以外のコース専門科目全て
    • なんでもいいのでそのほか 10単位
  4. 卒業制作に合格する

2年で卒業するための条件は、比較的複雑だと思われる。 おそらく、4年で卒業するためのカリキュラムを2年で行うことに起因する。 コースガイドやシラバスから2年で卒業する計画を読み取れないならば、おそらく2年で卒業する能力が足りないと思われる。

写真コースでの学びについて

卒業してみた結果としては、写真コースのカリキュラムは、良く練られていると感じた。 そのため、単位を取る・卒業するという目先の目標をクリアしていくことで、結果として「作品としての写真」を作るというコースの掲げる目標を(人による程度の差はあるが)達成可能だと思われる。

主にテキスト科目のカリキュラムを個人的な判断で雑に分類すると、

  • 1年次で、基礎的な技術
  • 2年次で、とにかく作品的な何かを作る
  • 3年次で、表現の技法を学ぶ
  • 4年次で、総合的な卒業制作を行う

という流れがあるように思われた。 卒業した時点から振り返って考えると、2年次で自分の制作を深める科目があることに、大きな価値があったと思う。 技法や手段といったものは、表現したいものがないと意味のない形だけのものになってしまうと思われる。 写真を学ぶというのは、得てして3年次のような技法を学ぶことを重視してしまうが、おそらくそれは間違いなのだろう。 スクーリングの講評で「技法が目につく」という否定的なコメントを何度か聞いたが、技法というのは表現に付随するものなのかもしれない。

デジタル関連の授業

基礎的な技術に関しても学びが多かった。 デジタルカメラを使う上で、RAWデータをPC上で調整して最終的なプリントをするというのは基礎的な技術である。 そのような、データの調整を行いプリントするスクーリングがあり、必要な作業を一通りできるようになった。 データの基本的な扱い方は何回かやれば覚えてしまうので、スクーリングで集中的に学ぶのは効率的であった。

また、デジタルで画像を調整するパラメータは多数存在し、やろうと思えばいくらでも画像を調整できてしまう。 大学の授業として学んだことで、きちんと自分の考えでここまでやるというラインを引くことができるようになった。 もし、1人で学んでいた場合には、それらを過剰に試したくなってしまっただろう。 繰り返しになるが、技法というのは表現に付随するものというのが、大学で得た大きな成果である。 なにをどこまで調整して、そして、なにをいじらないか、というのを表現を追求する大学の授業で学んだというのは価値のあるものであった。

卒業制作について

(気が向いたら書く)

不満な点

良い点ばかりを述べると、フェアではないため、不満な点を書こうと思う。 しかし、不満に思うような人は早々にドロップアウトしてしまう。 卒業した人の感想は、生存バイアスのために良い点が多いはずである。

特に最初のほうのスクーリングや課題は、カメラの基本的な操作を理解しているかを問われる。 経験者などある程度理解している人や、理系などで光学的な原理をすぐに理解できる人には、冗長である。 不満といえば不満であるが、多くの人が価値を見出す授業は後半、特に卒業制作である。 そのため、そのようなつまらない授業はさくっと取り、次に行けば良いと思う。 逆に言えば、そこに無駄な学費を払っていると感じられるならば、大学というカリキュラムが整った枠組みとは相性が悪いだろう。